Life 99

内省が多い

3/11

いま日本で、とても多くの人が「あの時自分はこうだった」と思い返されることが多い意味深い日だろう。 あの3/11から、3年がたった。 せっかくこうしてテキストを書く場を設けているのだから、私の2011/3/11を記録しておこうと思う。

当時私はまだ渋谷に勤めていて、あの日もいつも通り遅刻して渋谷に出勤して仕事をしてた。 地震が東京に来たときのTwitter

14:47:48 このオフィス揺れすぎ・・・ 14:48:01 って地震だこれ…上下揺れ? 14:48:40 うわあああああああああああああああああちょうゆれてるあああああああ 14:49:05 人生で初めてこんなに揺れてる!!!!!!!!!!!!!!! 14:50:01 泣きそう 14:51:23 まだ東京揺れてる… 14:51:40 こわくて手が震えてる 14:53:57 電話通じない 14:57:01 東京で震度5強とか 14:59:08 いま揺れてないけどこわくてトイレいけない

タイムスタンプを見ると、東北で地震が発生したのが46分、47分には東京に小さい揺れが訪れていて、大きな揺れは48分頃からだった。 ここから大きな揺れが収まるまでの間はパニックで、デスクの下に潜りもせず、キャスターの付いた椅子にぐらぐら左右に揺さぶられながら、Twitterのタイムラインを流れていく地震の悲鳴みたいなものを眺めていたと思う。 一番揺れが大きかった時は、「あ、死ぬかもしれない」というヒヤリとした気持ちになったのを覚えている。 揺れが収まったころに旦那に電話をかけてみたものの、電話はつながらず。

15:07:06 地震が全力出したら人って無力だなって知った瞬間でした…しごとする 15:10:06 アカン http://up.pandoravote.net/up21/img/panji0000791.jpg… 15:16:33 余震、いつトイレ行けばいいの・・・

仕事する、と言いながら、当然手につくものではなく、ただただひたすらTwitter眺めたりして情報収集をしていた。 お台場が炎上しているニュース映像のキャプチャを見つけて、そろそろ事のオオゴトさを認識してくる。 その後も小さい余震が断続的に訪れ、怖くてトイレにしばらく行けなかった。

15:29:06 子会社単位でえらいひと判断で外に非難してる島とかある、うちはのんびり仕事継続 15:31:32 自己判断で避難してって言われた…

当時のオフィス内は各事業部が子会社化しているところが多く、偉い人が「それぞれ所属の本部長や事業部長、社長の指示に従ってー」というなんとも頼りない号令がくだった。 近くの避難指定の場所(西郷山公園)に移動した部署が2組くらいあったが、我々の部署は特に動かず会社で待機していた。 ライフラインはひとつも止まっていなかったし、寒さもしのげ、幸いビルは新しく耐震構造が自慢みたいな建物だったから、外に一時的にも避難する理由はなかった。 結局外に一時避難した人達は数十分もするとオフィスに戻ってきた。

とある人は「うちの犬が心配だから!」と、16時になる前に帰宅。 電車は当然動いておらず、R246でタクシーを捕まえて多摩方面に向かった。 (家に帰り着いたのは24時頃だったとか) 同じことを考えている人は他にもいたようで、夕方ともなるとタクシーは捕まらず、R246は区外へ向かう車で大渋滞になっていた。 地震直後にJRは早々に終日運休を宣言し、私鉄や地下鉄は復旧に向けて全線運転を見合わせていた。

15:41:49 外はパニックて旦那に言われた><

旦那と電話がつながり、その日クライアント先に訪問していた彼から外はパニックだよ、というような話を聞いた。 彼は確か浅草方面のほうまで行っており、交通は麻痺していたから歩いて新宿方面へ向かっている途中だった。

15:57:17 都内から電話かけられないけどさっき母上から電話かかってきたので着信を受けることはできるんだな

母からの電話を受け取る。 詳細の内容は覚えていないけど、無事を伝えたと思う。 静岡のほうも結構揺れたよ、という報告を受け、お互いに無事であることをひとまず喜んだ。

16:30:00 終日電車動かなかったら会社泊かぁといま気づいたです

電車が動く見込みなど見当もつかず、こんなパニックの中どうやって動くのだろうと会社泊を覚悟する。

17:05:38 タクシー1000人くらい並んでるって帰る気失せる

どこからか、渋谷もしくは新宿のタクシー乗り場がえらいことになっているという情報を得る。

17:52:29 妹の生存確認した 18:02:09 仕事中止令がくだった 18:07:46 職場のライフラインがひとつも死んでないので大人しく会社にいます、いつまでいるかは未定 18:20:39 @妹 マジか、気をつけて。政府は職場待機令出してた。(もう離れちゃったならしょうがないけど) 外にいるときは倒れてくるもんとか注意すんだよ。(家の中でも)

仕事中止令が出たのは18時頃のことであった。中止令が出ようが出まいが全く手につかず仕事していなかったけど。 妹が帰る、というような話をしていたので、外に出るのは気をつけて、と呼びかける。 政府は職場待機令を出していたようだ。

19:13:10 ちょっと冷静になった、おうちのCDの200枚くらいは床に散乱してる気がする、シェルフ倒れてたら500枚くらい全部の可能性 19:13:22 へこんできた

家のことを想像したら、CDがとっちらかっているんだろうなぁという想像ができ、へこんだ。 直接的に自分の身に関連する被災状況を想像して初めてへこんだ程度なので、全く状況の重さをわかっていなかったんだと思う。 (もしくはパニックでわけがわかってなかった)

20:18:21 R246、渋谷駅のほうからぞろぞろ人歩いてくる 20:19:56 すき家でテイクアウトお断りいただいてますって言われた 20:20:18 コンビニに代官山行きたいんですけどって人達がわさわさしてる 20:21:10 コンビニの店員さんが代官山どこ、目黒どこって聞かれてて大変 20:26:22 近所のカレー屋さんでテイクアウトする 20:34:48 会社もどってきた

夜、会社泊を想定して腹ごしらえのために食料の買い出しに外に出る。 会社は渋谷の道玄坂とR246が交差するあたり(神泉の交差点)にあり、道玄坂やR246の渋谷駅のほうからから三軒茶屋方面へとゾロゾロたくさんの人が歩いてくる光景は異様だった。 皆、公共の交通機関を諦めて歩いて家に向かう人だったろう。 コンビニに入ると、歩いて家を目指す人が店員さんに代官山や目黒はどこかと聞いていた。 ここから目黒も代官山も近所みたいなものだが、電車移動で自宅と会社間の移動だけしている人であれば地理なんてわからないんだな、と思った。 近所のカレー屋さんで食料を確保できたのはありがたかった、あんな地震の後なのに、ちゃんと営業しているお店がほとんどだった。

22:16:52 まだまだ246は渋谷から三茶方面にかけて人がぞろぞろ歩いてて車道は渋滞してる 22:29:01 ああ京王再開きた http://www.navitime.co.jp/train/A13.html 22:30:33 京王動いても集中してすごそう、旦那と合流してないし朝まで会社にいるほうがいいかな(´・ω・`) 23:40:16 おひすから結構人いなくなってきてで寂しいからわんせぐ見る

夜もふけてくると、やることもなくなってひたすらワンセグ地震の情報番組をだらだら見てた。 22時半頃、京王線が復旧するも、まずは人が集中して大変だろう、旦那と合流したほうがよいだろう、という判断で引き続きオフィスに留まっていた。

02:24:08 京王動いてるから帰ってみることにした 02:33:11 新宿駅の旦那からいまから出る電車が最終(というか次の電車の見込みたってないとか)だって電話がかかってきて結局帰るの見送りました…(まだわたし会社@渋谷) 03:06:39 なんだかんだありましたが明大前で旦那と合流しました

日付が変わり、旦那が新宿駅から帰るという連絡を受けて、自分も帰ろうと帰路につく。 京王線井の頭線もダイヤは当然グチャグチャだったけど、各停だけでも運行してくれていた。 次の電車がわからないから〜と帰宅を見送りかけるも、旦那ととりあえず乗ろう、明大前駅で落ち合おうと連絡を取り合って無事に合流することができてよかった。 この時間になると電車はもうそう混んでおらず、自分達も含め、疲労困憊という顔の人達がぐったりとしながらおうちに向かっていた。

散乱04:06:11 マンションのエレベーター止まったまんまだ 04:10:18 ただいま私のCD達 http://plixi.com/p/83256110 04:10:58 液晶テレビさんが無事でよかったです!!!! 04:12:13 ハァ…ガラス割れてないだけでも充分! 04:15:02 さっきのCDの写真だけじゃなくて、B'z関連のCDの群れも半分落ちてる、あとiMacブッ倒れてる 04:20:13 すごい前向きなこと書くと、伊勢神宮で勝った天照皇大神宮のお札の中の木が折れてる、きっと神様が守ってくれたんだ... 04:23:21 テレビのシェルフが左前に45度動いてたのに液晶TVさんが落ちてなかったのは奇跡としか 04:26:13 会社で揺れると耐震構造しっかりしてるもんでそんなに怖くないけど、家で揺れるとやっぱ怖い 04:53:50 iMac無事だった、明日はお片づけだ 05:01:27 寝てる場合でもないけど片付ける気力もなくてとりあえずTVぼーっと見てる 05:35:50 ゆれてる 06:20:24 速報

帰宅したのは4時過ぎ、シェルフのCDがざーっと床に広がっていた。 幸いだったのは、窓や食器のようなガラス系は無事だったことだ。 一番の値打ちものだったPCは倒れていたけど無事、次に高い液晶テレビはシェルフが大幅に動いていたけど倒れていなかったのは奇跡じゃないかと思う。 そのシェルフの上に置いていた伊勢神宮で買った御札が床に落ちていて、中の薄い木がぱっきり折れていたので、きっと守ってくれたんだなぁと。 その木自体はただ落ちただけでは折れるような感じではなかったから。

その後、明け方は長野のほうで地震が頻発していて、ただただテレビの地震番組でそれを眺めていることしかできなかった。 疲労感に部屋の中を片付ける気も起きず、ただ脱力感に襲われてTVを見てた。 さすがに疲労でぐったりして朝の7時前に寝たけど、眠気はなかったと思う。 異常事態に神経はピリピリしていた。(3/11は金曜で、翌日は休日だった)

以上が、地震が起きてからその日寝るまでの流れだ。 いま思い返しても、その日の細かいことや、どれだけの疲労感だったか、ショックだったかというような気持ちの部分を忘れかけている。

日本中でいろいろなものが壊れて、いろいろなものが新しく始まったこの日。 私は、大きく「意識」が変わった。 「いつ死ぬかわからないのだから、やりたいことをやろう」 こう考えるようになった。 そしてこの半年後に仕事を辞め、いまのフリーランスという生き方を始めた。