Life 99

内省が多い

伊豆の踊子の宿「福田屋」(1)

2013年からの大晦日〜2014年の元日にかけて、伊豆の河津にある「福田屋」さんという旅館に宿泊した。

我が家はちょっと独特で、年末年始は夫婦別々に過ごす。 結婚してこのかた、私は毎年実家に帰り、旦那は大晦日だけ実家に顔を出すスタイルだ。 (年が明けて帰京し、最初の週末くらいに夫婦揃って旦那の実家にご挨拶に行く。) 地元にあまり帰らないから、年末年始くらいは地元で母や妹達とゆっくり過ごすのを義理の母は快諾してくれていて、おそらく子供ができるまでは年末年始は夫婦別々に過ごす習慣は変わらないだろう。

話は戻り、2013年の正月を実家でのんびり過ごしている間、母や妹と「たまには年末年始は旅行してみようよ」という話になった。 せっかくだから温泉で、出不精の人が多いから、ちょっとくらい遠くに行ってもいいよね、と話は弾んだものの、お金が、車で行ける範囲で…などと話は小さくまとまり、車に乗って行ける範囲の伊豆の温泉で目処をつけた。 宿は末の妹が張り切って探してくれ、河津の「福田屋」さんという宿に宿泊することになった。

清水港の223号看板12/31の朝、母と妹2人、そして叔母の5人で、清水港の駿河湾フェリー乗り場に向かった。この駿河湾カーフェリーは清水区西伊豆土肥町間を運行していて、1時間で伊豆に行くことができる。 年末年始を伊豆で過ごそうと考えている人達は他にもいたようで、珍しくフェリー乗り場にはフェリー待ちの車がとても多く、電話であらかじめ予約しておいてよかった。 いつもなら予約などしなくても余裕で乗れるが、この日は予約しなければ2時間に1本しか運行していないところを次の便に回されかねなかった。

ちなみに、この清水ー土肥間のフェリー航路は富士山が見え、清水のあたりでは去年富士山ついでに世界遺産に登録された三保も見ることができる。 この海路は昨年、観光促進も期待も込めて「県道223号線」として認定された。

土肥港につくと、136号線を松崎町まで南下。 松崎町付近でお茶をして一息ついた後、15号線東伊豆のほうへ向かい、途中で下田街道を北上して14号線とぶつかった所からさらに少し北上した湯ヶ野という温泉地区に福田屋さんはある。 仕事で徹夜明けで、下田街道と14号線がぶつかるあたりで目を覚ましたので、中伊豆の山道はすっかり寝ていた。ドライブ大好きなのに、もったいないことをした。 宿に着く直前の車内で、予約をした妹が「どうも伊豆の踊子の舞台になった宿らしいよ」と教えてくれた。 大変歴史と由緒ある宿がとれたものだ、と驚いたが、予約した当人もたまたまそうだったとのことで、なんとも味気なくそんな大層な宿を、こんなタイミングで予約できたものだと驚いた。

福田屋さんは、伊豆の踊子で出てくる通り、河津川を渡った向こうにある。 川の手前には、「踊り子の足湯」と名付けられた足湯があったが稼働していないようであった。 左の写真は、橋から川下のほうを写したところ、左のほうに小説内で踊り子が裸で飛び出してきたとされる共同風呂がある。 右の写真は橋の上から見える福田屋さん、「伊豆の踊り子の宿」と書かれている。

左手に風呂 福田屋

まさにこの正面に見えている部屋(2階)が、伊豆の踊り子の著者である川端康成が愛し、宿泊した部屋でありいわゆる一番よい部屋であり、この窓から例の共同浴場を眺めることができる。 (宿の浴衣を着ていればこの共同浴場を利用できるとのこと)

チェックインをしてみると、まさかこの部屋に泊まることになっていたとはと思いもよらずさらに驚いた。

玄関、新年を迎える準備がされていた。庭には踊り子の石像。

玄関 踊り子の石像

当の部屋から橋に面している縁側。 テーブルと、椅子が2つ。テーブルには伊豆の踊り子の文庫本が置いてあった。 そして伊豆の踊子のおまんじゅう、伊豆の踊子づくし。

縁側 おまんじゅう

部屋は二間つづきで、5人で泊まるにはちょうどよい広さであった。

部屋 部屋

旅館はこの川端康成が宿泊した部屋がある本館と新館があり、本館の2階には他に2部屋、宿泊には使われない太宰治が「東京八景」を執筆した際に泊まった部屋と、実際映画「伊豆の踊り子」の撮影で使われた部屋がある。 撮影に使われた部屋は宿泊が可能であり、もう一つの目玉になっているようだった。

太宰治が東京八景を執筆した部屋 伊豆の踊り子の撮影に使った部屋

1階は、フロントとお風呂以外は川端康成伊豆の踊子の資料館があり、川端康成の自書や写真、歴代の「伊豆の踊子」出演者のサインなどがたくさん展示され自由に見ることができる。

ここには川端康成の直筆の書が3点あり、

・小説「伊豆の踊子の舞台はこの福田屋ですよ」と本人に書いてもらった原稿用紙(小説内には宿の具体名は出ていない) ・宿主(女将さんのお父様)がなくなった時にもらった書 ・川端康成が72歳の時に書いた「亥」の書

であると女将さんが説明をしてくれた。

写真 サイン

サインといえば、由緒ある宿ゆえに旅行番組のロケもたくさんされるようで、ここに訪れた芸能人のサインもたくさん置かれていた。多すぎてまとめて重ねられていたくらいだ。 囲炉裏があり、古い建物の趣がとてもよい。

サイン いろり

夕飯までに時間があったので、縁側のテーブルに置かれている伊豆の踊子の小説を読んだ。 実際の舞台になった部屋で読むとまたリアリティがあり、容易に想像できるその空気感の中で、主人公の高揚感を思うとより切ないものがあった。


つづく